目指すは地元水産業の発展と若者の雇用創出 ブランド「かぼすヒラメ」に掛けた地域活性への想い
宮崎県との県境に位置し、リアス式海岸の特徴である入り組んだ地形によって、天然の良港に恵まれた漁師町が点在する佐伯市蒲江地区。
新鮮な魚を買い求める人や釣り客が多く訪れるこの地区は、養殖業が盛んな地域としても知られ、様々な種類の養殖魚が育てられています。
この蒲江地区でヒラメ養殖に取り組み「かぼすヒラメ」ブランドの普及と業界振興に尽力する、森岡水産の森岡 道彦さんにお話をお伺いしました。
大手住宅メーカーから42歳で家業のヒラメ養殖事業者へ
森岡さんはヒラメ養殖に携わる前は、大分市にある大手住宅メーカーの営業マンとして働いていました。ご実家は工務店業に携わっていましたが、森岡さんが27歳の時にヒラメ養殖へ事業転換をされます。
大分県のヒラメ養殖は国内生産量の30%を占めており全国で1番多く(2018年実績値)、佐伯市蒲江の下入津地区はその大分県内において最も生産量の多い地域で名実共に日本一のヒラメ養殖を行っています。
(平成25年 水産庁「養殖業の現状と課題について」より引用)
そんな下入津地区では古くから養殖が盛んに行われ真珠貝養殖から始まり、もじゃこ(ブリの稚魚)・ブリの養殖と広がり、その後、陸上養殖でヒラメの養殖が始まりました。昭和56年頃に愛媛県のヒラメ養殖を見様見真似で始めたそうですが、生産環境と好景気に支えられその後は規模が拡大して行きました。
森岡さんのお父様がヒラメ養殖に参入されたのは平成7年頃で、当時は単価的には落ち着いていたものの生産量や事業者数も増加傾向だったと言います。森岡さんが引き継いだのは、それから10年以上たった平成19年で42歳の時でした。
住宅メーカー勤務時代、定年後は佐伯に戻って過ごすことを考えていた森岡さんですが、ご両親の高齢化や転勤の可能性、自身の年齢なども考慮し定年を待たずに会社を辞める決断をし、家業のヒラメ養殖を引き継ぎました。
外国産に押され国産市場は低迷、しかし危機感をバネに
森岡さんが事業を引き継ぐ前年の平成18年に事業者数及び生産量共に最盛期を迎えていた国産のヒラメ養殖は、その年を境に外国産ヒラメに市場を奪われ下降へと転じます。
(農林水産庁 令和元年統計調査より集計)
スタートから厳しい状況の森岡さんでしたが、国産養殖ヒラメ市場は好転しませんでした。単価の安い韓国産の養殖ヒラメは年を追うごとに市場に普及し、更に赤潮などの影響もあって約10年間で国産ヒラメは単価も事業者数も半減してしまいます。経営と国産ヒラメの存続に危機感を覚えた下入津ヒラメ組合は、韓国へ視察に行くことを決断しました。
「韓国に視察に行って分かったことは、自分達よりも生産規模が大きく低いコストで生産されていることと、日本人が好む1kgを超えたサイズを作っている事が分かった。
視察をした事で韓国産ヒラメに国内市場が飲み込まれてしまうという、より強い危機感を持ったし、これまで日本一の生産量を誇っていきた自負から何とかしなければならないと考えた。」
視察後、韓国産に対抗するための方法を考える中で、場所の条件から韓国産に比べ生産コストが高くサイズが小さい下入津のヒラメが生き残っていくには「ブランド化」に注力し付加価値を付ける必要があるという結論に至ります。しかし、単にブランド化といっても具体的にどのようにしていくのか組合員で知恵を出し合ってもなかなか良い案が出ませんでした。
そこで地区担当の漁協の普及員に相談したところ、水産試験場で養殖ブリの餌にカボスを与える試験をしていることを教えてもらいます。県の特産品を使った新しい取り組みは興味深く、早速組合の役員で集まり協議した結果、とにかくカボスを餌に入れた試験をやってみようということになりました。この事により「かぼすヒラメ」ブランドがスタートする事となりました。
組合全体で協力し完成したブランド「かぼすヒラメ」
試験場へのヒアリングで、かぼす添加で血合い肉の色変わりが遅くなる効果があると身質の変化の可能性が分かった森岡さん達でしたが、当時まだブリへの適量も確立していない時期であったため、当然ヒラメに適した量や餌の状態などの検討もし辛い状況でした。そのため、森岡さん達は適切な添加量や期間、飼料も半乾燥と乾燥の2種類に分けて様々な組み合わせを合計42区で組合員で手分けして試験することとしました。
2年間かけて試験を行った結果、かぼすの香り成分であるリモネンの蓄積データや臭みが無いなどの食味のアンケートを経て適正な添加量を発見。平成23年、大分県のブランドとして売り込むのに十分に特徴のあるものだと確信をもてる程にクセのないさっぱりとしたブランド「かぼすヒラメ」が完成しました。
自ら作り上げたブランドを守り定着させるため組合は添加量やサイズ、単価などを細かく設定します。当時、下入津ヒラメ組合員だった森岡さんは生産体制が整った事で、次の手として販路の開拓に取り組みます。
養殖事業も住宅メーカーも生産したものをお客様に提供しながら商売をするという根本は一緒だと考えていた森岡さんは、かつての住宅メーカーの経験を活かし様々な取り組みを行います。
「国産養殖ヒラメが韓国産ヒラメに押されてシェアの半分にまで減ってしまっている現状や、かぼすヒラメの美味しさを知ってもらうため地元でのイベント出店や県内スーパーや県外の佐伯出身者の会に働きかけるなどした結果、全国放送のテレビにも取り上げられるようになりました。」
地元の小学生に対しかぼすヒラメ養殖の話を行うなどの活動も積極的に行われてきた。
積極的な取り組みの結果、平成23年11月に漁協と協力して「かぼすひらめ」の商標登録が完了。通常の養殖ヒラメとの違いを明確にするため、一目で分かるようにタグを付ける形での販売を行うことも組合で話し合い決定しました。消費者に自分達が自信を持って育てたブランドひらめである事を分かりやすく伝え、またその品質について生産者が責任を持って証明している象徴として、1尾ずつ手作業でタグをつけて出荷されています。
目標は市場拡大による雇用創出、地元の祭りを絶やさない為に
取り組みは成功しかぼすヒラメの認知度と共に業績は上向きましたが、あくまでこれはかぼすヒラメに限定した場合だと森岡さんは言います。
韓国産ヒラメの勢いに押された結果、一時は国産ヒラメの価格が5分の1以下になった事もありヒラメ養殖を辞めトラフグなど他の養殖に移った事業者も数多くいます。今でも100万匹の生産量のある大分県のヒラメ養殖ですが、かつては800万匹近くあり、森岡水産でもかつての約半数までに減少していると言います。
森岡さんがヒラメ養殖を始めたタイミングはまさに韓国産ヒラメの進出で価格が落ち込んだ時期。他の養殖事業者は次々にヒラメ養殖の他にトラフグなど他魚種の養殖を行っていく中で、なぜ森岡さんも他の魚の養殖に映らなかったのでしょうか。
一つは、陸上養殖施設の規模の問題があります。他の養殖事業者に比べて森岡水産の養殖場の面積は3分の1程度だそうで、限られた範囲では数を出して売り上げを立てるような養殖は難しいと言います。そのため付加価値をつけて売る事が出来る、ブランド戦略に賭けたのだそうです。
もしブランドヒラメがダメだったらやめるしか無いと、覚悟を持って取り組んだ森岡さんですが、前職の住宅メーカーで鍛えられた経験が最後まで決して諦めない気持ちで取り組む事に活きたと言います。
森岡水産の陸上養殖施設内部。複数の生簀でヒラメ養殖を行なっている。
そんな森岡さんの次なる目標は、市場規模の拡大と共に事業を大きくし地元に雇用を創出することです。ヒラメ養殖を始められた頃に、地域を盛り上げる先駆者的な存在の先輩と話をする機会があったそうです。その方は自身で加工場の運営や店舗を構えるなど、雇用の創出のために積極的に活動をされている人でした。
そして、その先輩が語った「過疎化の原因は大人のせいだ。若者は地元で働きたいと思っても、勤め先がないから出たくなくても出るしかない。」という言葉に、同意と感銘を受けたと森岡さんは言います。
「自分自身も地元に仕事がなかったし、地元が嫌で外に出たけど、愛着がなかった訳ではなく祭りや盆正月には帰ってきていました。そういう地元に愛着はあるけど仕事が無いから他の地域で暮らしているという若者に、地元で暮らすという選択肢を作ってあげることが大人の役割だと思っているので、将来はヒラメ養殖での雇用創出を目指したいと思っています。過疎化が進んでいる地域だけど一人でも二人でも増えていけば、いずれ地元の祭りも昔のように賑わいを取り戻して開催ができるかもしれない。
最近、近くの企業に名古屋の水産高校出身の若者が、かぼすヒラメの取り組みを知って就職した実績もあります。また、水産業といっても様々あって、海に出ることの少ない陸上養殖や運送に関わる仕事、加工業や餌やりだけを専門に行う人もいる。水産業を船に乗って漁に出る仕事と一括りにするのではなく、それぞれの詳しい内容を知ることで地方の水産業でも自分に合った働き方が見つかるかもしれないと考えています。
そして、自然の中で美味しい食べ物と共に豊かに暮らしていけるので、少しでも興味があればもう一歩踏み込んで知ってもらえると嬉しいです。」
出荷するヒラメは大きさを確認しながら一匹一匹網で掬っていく
車に搭載した設備に長時間入れておくとヒラメが弱るため、素早く市場へ出荷する。
最近は、地域にも若い人が増えてそれぞれが積極的に活動しているそうで、若い人が増える事でコミュニケーションも活発になり、新たな取り組みなどが始まる事に期待を寄せています。
常に次の世代の事を考えながら、自分に出来ることを精一杯行うなど、利己的ではなく共に歩んでいく為に、若い世代の発展や豊さをサポートする気持ちを持って活動されているのは、養殖業を営む森岡さんだからこそだと感じました。
- 2021年07月28日