体は食べ物でできている 身土不二の精神で取り組む本物の塩づくり
佐伯市米水津にある、青く澄み渡る海と豊かな緑に囲まれた間越(はざこ)地区で、自然に寄り添った昔ながらの製法でつくられる【なずなの塩】。
海塩は、製塩所の前に広がる美しい間越の海水からつくられています。全国の食や健康に関心の高い人たちに長年支持される海塩は、どのようにして生まれたのでしょうか。
今回はこだわりの製法で塩づくりに励む、株式会社なずなの塩 会長の那波 君仁夫さんに、塩づくりにかける想いをお聞きしました。
赤峰野菜との出会いがきっかけとなった「本物の塩」づくり
那波会長は40代を過ぎたころ、多忙な仕事と不規則な生活による不摂生で糖尿病を患います。病気とともに生きるようになり、自身の健康について考え始めました。
そのころ、「なずなの会」を主宰する赤峰勝人氏との出会いがありました。循環農法で無農薬・無化学肥料の野菜などを育て、「体は食べ物でできちょる」と語る赤峰氏に、那波会長はハッとさせられたといいます。それまで、あまり注意を向けていなかった食べ物の重要性に気付いたのです。「なずなの会」で農業を学びながら、畑を借りて野菜作りを始めました。
「赤峰さんに教わりながら野菜作りをやってみたものの、妻は赤峰野菜ばかりを食べて、私が作った野菜は全く食べてくれなかったんです。赤峰さんが作らない野菜を作ったらとまで言われてしまって…」当時を振り返りながら、照れ笑いする那波会長。赤峰氏は野菜や米などの農産物はすべて育てていたけれど、塩は手掛けていないことがわかったのです。
当時、塩といえば工場で大規模に製造(イオン交換膜製塩法)された塩化ナトリウム99%以上の精製塩しか手に入れることができませんでした。海水に含まれるミネラル成分が除去された塩では、健康を維持することはできない。海のミネラルバランスを保ったままの『本物の塩』を自身の手でつくろうと決めたのです。
「米や野菜などは赤峰さんが丹精込めて作っていました。私が塩を作ったら、人間が生きていくために必要な最低限のものがすべて揃う。特別なものを作ろうと思ったのではなく、本物の食べ物を作りたかっただけ。ただその一心でした」
当初は、自家用と仲間に分けるための少量を作るつもりだったそう。畑に建てた小屋に海水を運び込み、炊き方や海水を汲む場所を変えるなど試作を重ねていきました。赤峰氏に数種類の塩を試食してもらうと、「うん!この塩は生きちょる!!」と太鼓判を押された塩がありました。それは那波会長が最も好きだったものと一致。その塩を使った大根の漬物は大変美味しく、奥様いわく「元気の出る味」だったそう。それ以降、塩づくりへの想いはさらに強くなりました。
平成10年には「なずなの会」の仲間3人とともに、「なずなの塩」として本格的な塩づくりを始めることになります。
「日本人の食事で不可欠なのが、味噌・醤油・漬物などの発酵食品。その味を引き立てる塩を作りたかったんです」と話す那波会長。
塩づくりの場所として理想的な間越の海
自身の畑で「本物の塩」をつくることができた那波会長。大分県での塩づくりにこだわる理由は、赤峰氏が大切にしている「身土不二」という考え方が根本にあるからです。
「身土不二とは、簡単にいうと人の体と環境は切り離せない関係で、地元の土地でその季節に採れたものを食べるのが健康に良いという考え方。だからこそ、塩づくりは大分ですると決めたのです」
大分県内で塩づくりに適した場所を探した結果、佐伯市間越の地に辿りつきました。
黒潮の流れによって透明度が高い海、一年を通してハイビスカスが咲く温暖な気候が気に入りました。間越に残る手つかずの山は、明治42年に魚つき保安林に指定された原生林でもあります。「山の恵みが豊かな海を育む」。これ以上はないというほど、塩づくりに理想的な場所です。
「間越の皆さんに製塩所を構えたいと申し出たところ、温かく迎え入れてくれました。原料の海水がなによりの自慢。海水が良いから、良い塩ができるんです」
北風が吹いても、峠があることで強い風は遮られます。間越の海岸線は霜が降りず、ハイビスカスが通年で咲く温暖な気候です。
展望台から望む美しい間越の海。プランクトンが豊富で、時期になるとシラス漁が盛んに行われます。
「天草 塩の会」に感銘を受けて、「なずなの塩」も本格始動
本格的に塩をつくるにあたり、各地の製塩所に赴き見学しました。最も心を揺さぶられた塩は、熊本県天草市で「天草 塩の会」松本明生さんがつくる「小さな海」でした。
「塩も、塩づくりにかける想いも、すべてが素晴らしかった。間越での塩づくりは、塩を炊く釜の寸法サイズや天日小屋など松本さんの手法を真似したんです。私たちも松本さんを見習い、能率や効率、利益のみを追い求めるのではなく、 ひたすら実直に塩をつくろうと決めたのです」
「なずなの塩」は創業当初より、従業員の出社の回数や時間は各自に任せています。製塩所に来たいときに来て作業をし、帰りたいときに帰る。どんなときも気持ちよく塩づくりをする。那波会長も職人も、牧歌的なワークスタイルで働いているのです。「無理をしないのが長続きの秘訣。大量生産はできませんが、うちの塩を必要とする人たちに届いて欲しいと思いながらつくっています」と話します。
「天草 塩の会」で使われていたものを参考にした鉄釜。薪で焚くことが「なずなの塩」のこだわり。
2種類の製法でつくり分ける【てんぴしお】と【あらしお】
「なずなの塩」には、天日小屋で太陽光の力を借りて自然結晶させた【てんぴしお】、鉄釜で薪を燃やし炊き上げた【あらしお】の2種類があります。同じ原料(かん水)を使っていても、製法が異なることで、味に違いが出るそうです。また、手づくりであることから、毎回同じ味に仕上がるわけでもありません。ほんの少し味に幅があることが、塩づくりをする上での面白さでもあると那波会長は説明します。
「マグネシウム・カルシウム・カリウムなど海水に含まれている成分が、塩化ナトリウムの塩味と混ざり合うことで味に奥深さが生まれます。商品を使用された方からは、『なずなの塩を使うことで、自家製梅干しの味が良くなった』と評判は上々です。塩の美味しさが一番伝わるのはおにぎり。ぜひ試して欲しいですね」
【てんぴしお】を作る天日小屋には、太陽光を浴びてキラキラと光る塩が並びます。
【あらしお】は鉄釜を使い、薪を燃やして炊き上げます。
間越での塩づくりは理想の人生の形
「なずなの塩」を創業したとき、那波会長は57歳でした。「本物の塩をつくる」という目標とは別に、もう一つのテーマがあったといいます。それは、美しい間越の景色を見ながら、ボヤッとのんびり生きること。
「『塩づくりで大変だったことは?』と聞かれることがあるけれど、それは思い当たることがありません。夏は天日小屋で大汗をかいた後、海に入ってぼーっとするのが気持ちよかった。とにかくのんびり働かせてもらいました。塩釜を焚きながら素晴らしい景色を見てビールを飲み、夜は驚くほどの数の星を仰ぎ見ることができます。初夏にはヒメボタルが飛んでくるんです。間越ならではの贅沢な風景を眺めながら、のんびりと過ごした時間が何よりの幸せでした。塩づくりを通して、自身の思い描く理想の生活ができたと思います」
後継者に恵まれたことで、「塩づくりは引退した」と宣言する那波会長。今後は間越のためにできることを率先して行い、「なずなの塩」をさらに次の世代まで引き継いでもらいたいと願います。
これからも「なずなの塩」は、美しい間越の地で創業当初から変わることのない想いとともに作られます。
製塩所全景。建屋のすぐ後ろには原生林、眼前には美しい海という自然豊かな環境が広がります。
後編では、那波会長の想いを受け継ぐ永井さんのお話を掲載します。
- 2021年02月03日