こだわりの製法と想いを受け継ぎ 次の世代へ残すべく奮闘する塩づくり
大分県佐伯市米水津にある、青く澄み渡る海と豊かな緑に囲まれた間越(はざこ)地区。「なずなの塩」が営む製塩所では、自然に寄り添った昔ながらの製法で海塩がつくられています。
前編では、「なずなの塩」の創業者である那波会長にお話しをお聞きしました。後編では、那波会長の後継者である工場長の永井 由正さんのお話をお届けします。(前編をご覧になる方はこちら)
那波会長と永井さんが“地元の海のため”に深めた交流
工場長の就任以前は、地元の漁協に従事していた永井さん。那波会長とは、「なずなの塩」創業当時から関わりがありました。
「養殖ブリが低迷していた時期、漁協職員として、地元のブリをブランド化するにはどうしたらよいかという課題を抱えていました。そんなとき、土着微生物菌を利用して魚も海も綺麗にしようというアイデアがあると聞いて、湯布院のヤマメ養殖場へ視察に行きました。微生物菌を与えたヤマメは内臓が小さく、卵の孵化率が高い。よくよく考えてみると、食物連鎖で山の栄養とともに流れ出た微生物が海の生物の栄養となるんですね。魚にも菌が大切であることに気付きました」視察後、永井さんは養殖ブリに与えるぼかし(ぼかし肥料)を作り始めます。
一方、那波会長は間越にある竜神池(砂浜の裏にある砂丘でせき止められた潟湖)の水質を向上させるため、土着微生物菌に注目していました。ぼかしの作り方を習おうと、永井さんのもとを訪ねていたのです。永井さんと那波会長は、ぼかしの材料として「なずなの塩」のにがりを利用するなど、互いにアイデアを出し合い、研究を重ねながら交流を深めていきました。
永井さんの人柄と仕事ぶりに感心した那波会長は、自身の後継者として「なずなの塩」に迎え入れたいと申し出ます。漁協職員だった永井さんは、「定年したら前向きに検討しましょう」と冗談半分に答えたと振り返ります。
那波会長との出会いから現在に至るまでのお話をお聞きすると、ふたりの強い絆が伝わってきます。
那波会長の熱烈オファー、想いを受けて「なずなの塩」へ
那波会長の誘いから数年が経ったころ、永井さんは地元の養殖事業社に転職します。時期を同じくして、「なずなの塩」は那波会長の引退後の後継者不在に直面していました。那波会長は再度、永井さんへオファーを出します。転職したばかりであることは承知の上で、「どうしても力を貸して欲しい」と熱心に説きました。しかし、入社後3か月と日が浅く、知人の協力があっての転職だったことから、永井さんは那波会長の申し出を受け入れることはできませんでした。
何年もの間、米水津地域で塩をつくる人を探していた那波会長。諦めきれない思いはありましたが、一旦は引き下がります。その後、永井さんの考えが少しずつ変わり始めました。
「那波会長の熱意は十分に理解していたし、力になりたい想いもありました。転職したばかりで今すぐには難しいけれど、1年後であれば塩づくりに従事できると伝えたのです」
その言葉を聞いた那波会長は、「翌年まで塩づくりが停滞してしまうけれど、他の人ではなく永井さんに引き継いでもらいたい」と待つ覚悟を決めます。その期間は、塩の在庫が無い開店休業状態に。1年後、永井さんが正式に「なずなの塩」に参加することで、塩づくりが再開されました。
さまざまな工夫を重ねて編み出した永井流の製造方法
参加後、永井さんは塩づくりの技術をすぐに身に付け、那波会長が創業するに至った経緯や想いをきちんと理解したといいます。当初は、「かん水を炊けばいいのだろう」とそれほど深く考えてはいませんでしたが、取り組むうち「自分が作っているのは、人に届けるための塩だ」と気持ちを改めました。
塩づくりの工程では、かん水を作ったり、釜炊きだったりと屋外での作業が多くあります。永井さんはチリなどが入らないよう網を自作しました。それにより、後工程で行う不純物の除去作業量が大きく改善されたといいます。
これまでの製法を継承している塩づくり。釜炊きの場合は作り手によって釜から上げるタイミングが変わるため、出来上がりの塩の味に微少な違いが出てきます。通常はにがりの味を確認しながらタイミングを図りますが、にがりで喉を痛めてしまう体質の永井さんは味の確認ができません。
改善策として、毎回一定量のかん水を炊き、残すにがりの量を見ながら釜から上げるタイミングを計るようにしました。
【あらしお】は鉄釜で薪を焚き、かん水を煮詰めます。煮詰めすぎると塩以外の成分が結晶化して味が落ちるため、釜から上げるタイミングが重要となります。
【てんぴしお】は、天日小屋の木桶にかん水を入れて毎日かき混ぜます。太陽光で水分を蒸発させ、自然結晶化させるのです。
できあがった塩。検品や袋詰めも、すべて手作業で行います。
販路や広報PRを強化して、もっと多くの人へ届けたい
塩づくりは自然を相手にした作業が続くため、予期せぬ事態に見舞われることがしばしばあるといいます。雨が降ると、かん水づくりは行えません。台風の影響で設備が壊れてしまい、修繕のために作業がストップすることもあります。
那波会長が目指した塩づくりは、自然と向き合い、効率や生産性を追い求めないスタイル。その一方で、永井さんは以前の職場で培った「組織が安定運営をするため、いかに販売数を確保するか」について考えを巡らせています。
販路や広報PRを強化するため、本サイト(うれしたのし豊の国)で通信販売を開始しました。商品の購入者や購入を検討している方には、「なずなの塩」の塩づくりへの想いやこだわり、創業までのストーリーを伝えたいという気持ちがあります。
「体によい塩をつくっている自信があります。もっと多くの方になずなの塩の“想い”や“こだわりの製法”を知ってもらいたいですね。『美味しい』という声をいただけると、やっぱり嬉しいですよ」
海水を濃縮してかん水(濃い塩水)を作るタワー。雨が降ってしまうと、作業が中断してしまいます。
三角の形をした天日小屋。強い台風が近づくと、ビニール屋根にダメージを受けることがあります。
次の世代へのバトンタッチを見据えて
那波会長から永井さんへと受け継がれた塩づくりは、これからも変わらぬ製法と「本物の塩を作る」という想いで続いていきます。
「あと15年くらいは頑張れるけれど、その後はまた地元の若い世代に引き継いでもらえたらいいな」と、永井さんは次世代の塩づくりに想いを馳せます。
那波会長をはじめとする「なずなの塩」にかかわる人たちは、製塩所の建設を受け入れてくれた地域の皆さんに感謝の気持ちを持ち続けています。豊かな原生林を守り、海の恵みを受けながら、塩をつくっているのです。
皆さんも、間越へ遊びに来てみませんか。職人が心を込めて作る「なずなの塩」を味わってみてください。まろやかで奥深い味の海塩を調味料として使えば、あなたも料理上手になること請け合いです。
- 2021年02月03日